無能すぎて生きるのが辛い

自分の生きた痕跡を残したくて始めました。

食品工場で働いてた時の話

こんにちは、たけおといいます。

今から3年前の2019年の話なんですけど、その頃僕は24歳で、会社に入社しては直ぐに辞めの繰り返しで全く定職に就けてませんでした。

というのも自分はかなり物覚えが悪くて、注意力散漫で、理解力もめちゃくちゃ低くて、人の話とかを聞いても、なんというか話がうまく頭の中に入って行かなくてよく理解出来ないなんてことが日常茶飯事なんですね。

要するに馬鹿なんです。

おまけに僕には吃音症という言語障害のようなものがあって、人と話す時に

「お お お お お おはようございます」

みたいな感じでうまく言葉が出てこないことがあるんですよ。

それが原因でうまく人とコミュニケーションが取れなくて対人関係ではよく苦労した思い出があります。

そんなわけでどの会社に入っても人間関係でうまくいかなかったり、業務上のミスを連発したりで全く長続きしなかったです。

2019年頃になるとこの歳で未だに定職に就いていないのは流石にヤバいと思い始めていて、そんな時期に入社したのがタイトルにある食品工場でした。

そこは豆腐やこんにゃく、油揚げなんかを作っている食品工場で、従業員が10数人くらいの小さい会社でした。

で、僕はその会社に入って午前中は豆腐工場でパックに入った豆腐を包装機にかけてパッケージングして、
パッケージされた豆腐をお湯の入った機械に入れて茹でて、
茹で上がったらそれを取り出して冷水につけて十分に熱が取れたらコンテナにつめて冷蔵庫に持って行くっていう一連の作業をして、
午後からはこんにゃく工場で、成形されたデカイこんにゃくをいろんな大きさにカットしたりしてました。

他には商品の発送作業とか、ところてん作りなんかもやってました。

覚えることが結構多くて大変だったんですけど、当時の僕は「なんとしてもこの仕事は長続きさせなきゃ」と思っていたので、馬鹿なりに仕事を覚える努力をしていて

具体的には仕事が終わって家に帰ってから、その日やった仕事の作業手順なんかを事細かにノートに書き出したりしてました。

でまあその甲斐あってか自分はわりと早く仕事を覚えることが出来て、入社して最初のほうはわりとうまくいってたんです。

ただしばらくすると当然の事なんですけど僕に任される仕事の量が増えていって、その豆腐工場では主に、木綿豆腐と絹豆腐、あと焼き豆腐の三種類扱っていて、最初の頃の僕は木綿豆腐の包装作業だけやってたんですけど、僕が入社してしばらくたってから、仕事にも慣れてきたということでその木綿豆腐以外の作業も並列してやることになったんですけど、

僕は複数の作業を並列して行うみたいなのが絶望的なまでに苦手で、普通の人はうまく順序だてて作業するんだと思うんですけど自分にはうまく出来なくて、一方の作業をやってる時はもう一方の作業がおろそかになってる感じでした。

なのでよく周りの人にフォローしてもらってて、「いずれはあなた1人で出来るようにならなきゃいけないんだからね」みたいなことをちょくちょく言われてました。

あと僕が入社する前に勤めていた人と比較して、「前に居た人は、全部1人でやってたよ」みたいなことも言われて嫌な気持ちになったのを覚えてます。

あと、その会社の会長さんが社長のお母さんで、70歳くらいのお婆ちゃんなんですけどその人が凄い怖い人で

なんというかその会長さんは相手によって性格がガラッと変わるんですね。

仲のいい人に対しては凄く優しいんですけど、
自分が嫌ってる人に対してはあからさまに不機嫌そうな態度で接して、その人がちょっとでもミスしたりすると周りに人が居るのもお構い無しに怒鳴りまくるって感じで・・・

だから僕は上手く仕事をこなせないといつか僕も嫌われるんじゃないか・・・と、ビクビクしながら作業していたのを覚えてます。

それでこの会長さんとは豆腐工場のほうで一緒に作業してたんですけど、

この豆腐工場では他に村山さんっていう女性社員もいて、この人がなんか会長さんに凄い嫌われてて常日頃から怒鳴られたり嫌味を言われたりしてて凄い怖かったのを覚えてます。

入社して最初の頃、僕が豆腐の包装機のフィルム交換をなかなか上手く出来なくて悪戦苦闘してた時、それを見た会長さんが村山さんに
「あなた先輩なんだから手伝ってやれ!」
って怒鳴りだして・・・

自分の物覚えが悪いばっかりに、他の社員さんが怒られて本当に申し訳ないと思ったのを覚えています。

会長さん絡みで、仕事が暇な時期に会長さんの自宅の雪囲いを外す作業を手伝わされた時があったんですけど、

バールで木の板から釘を引き抜く作業を任された時「バールの使い方は分かる?」って聞かれて僕は分かるって答えたんですね。

そんで僕は何を思ったか、バールって先端に釘を引っかけてテコの原理みたいに片側に傾けて釘を引き抜くじゃないですか、それを僕は垂直に持ち上げて引き抜こうとしてしまって、

「こいつバールの使い方も分からないのか・・・」

みたいな感じで笑われました。

あと、やることが無くて手持無沙汰してた時に会長さんから

「配達の人のピッキング作業を手伝って来て」

って言われたんですけど、配達の人からは

「こっちは手が足りてるから自分の仕事してていいよ」

って言われて、それで別の作業をしてたんですね。

そしたら会長さんが「あの人私は配達の人を手伝えって言ったのになんで別の作業してるの」みたいな事を陰で言ってました。

僕が入社して最初のほうは、会長さんは僕に対して優しかったのを覚えてます。

ただ、先にも書いたようにその食品工場では覚える作業が多くて、
午前中は豆腐製造、午後からはこんにゃく製造、発送準備、他にも定期的にところてん作りがあったり、あとはそれらの付随業務がいろいろあって・・・

典型的なシングルタスク脳の僕はだんだん仕事に着いていけなくなって、

それにともなって会長さんの僕に対する態度がちょっとづつ変わっていって、具体的には僕に対しての挨拶が凄いぶっきらぼうになっていったんですね。

最初の頃は朝僕が工場に入って挨拶すると丁寧に返事してくれてたんですけど、いつの日からぶっきらぼうというか投げやりな感じで返事されるようになりました。

最初は気のせいかなって思ったんですけど、その日からずっとそんな感じだったんで、「ああ俺嫌われだしたんだな」って思いました。

その時に会社を辞める決心をしました。

で、入社して3ヶ月がたってちょうど試用期間が終わる頃だったので、社長から「もうすぐ試用期間が終わるけどやっていけそう?」って聞かれて、

僕は「なんとかやっていけそうです」的なことを言ってその場は終わったんですけど、

自分の中ではもう会社を辞める決意が固まってたのでその日帰宅してから直ぐに退職届を書いて夜中に会社のポストに投函して、次の日からは会社には行きませんでした。

そんな感じでその食品工場は3ヶ月で辞めてしまいました。