無能すぎて生きるのが辛い

自分の生きた痕跡を残したくて始めました。

あけましておめでとうございます。

こんにちは、たけおです。

皆さんあけましておめでとうございます(今更ですが)。

新年を迎えて大分経ちますが僕は相変わらず無職をやっております。

前回の記事では去年11月に工場の仕事を辞めてからエア出勤生活を送っていると書いたんですがその後一件派遣の求人に応募しまして、

そこはプリンター機器を作ってる工場で、求人に書かれてたのは棚に置いてある部品を指示書に書いてある通りに集めて製造ラインに持って行く、所謂ピッキングの仕事だったんですね。

で、実際職場見学に行ったらその工場では届いた部品を検品して仕分けする部署、部品を製造ラインに届けるピッキングの部署、製品を組み立てる部署等々・・・といったふうに複数の部署があって、

僕はピッキングの部署での仕事ということで応募したんですけど、 「その日の状況によって他の部署に応援に行ってもらうことが多々ある」って言われて・・・

僕は専らピッキング作業をやらされるもんだと思っていたのでそれで凄い面食らっちゃって・・・

僕はただでさえ物覚えが悪いし、要領も良くないから色んな部署で作業をさせられるって聞いて凄い不安になって・・・

それで結局辞退してしまいまして・・・年末年始から今に至るまでずっと無職やってます。

年末は基本的に家で過ごしていたのですが、両親は普通に仕事があったのでたまに家の中が兄夫婦と僕だけになるタイミングがあって・・・それが凄い気まずいんですね。

このブログで度々書いてるんですが僕は同居してる兄夫婦との折り合いが良くないから・・・だからそういう時は近所のイオンに出掛けて時間を潰してました。

あと大晦日は部屋の掃除とかしてました。

そんな感じで新年を迎えまして正月も基本的には家にずっと居たんですが、地元に帰省中の従姉が僕の実家に新年の挨拶に来るのを聞いて顔を合わせる羽目になったら嫌だなぁと思い近所のBOOK-OFFに行って時間を潰したりしてました。

・・・とまぁこんな具合に無味乾燥な毎日を過ごしてました。

今でこそこの有り様ですが、昔は年末年始といったら僕にとっては一大イベントで、 小学生時代は年末には友達に送る年賀状を書いたりしながら来年はどんな年になるか期待に胸を膨らませてたりして、

僕は絵を描くのが好きだったので年賀状には当時読んでたコロコロコミックっていう漫画雑誌に出てくるキャラクターを描いたりしたんですけどそれが結構友達にウケて喜んでもらったのを覚えてます。

あと正月なんかは地元のスポーツ少年団が主催するスキー合宿に友達と一緒に参加したり・・・結構楽しかった思い出があります。

そんな感じで昔は割りと楽しい年末年始を送ってましたし、何より新しい年に対して希望とか期待が持ててました。

今はというと新年に対しては「今年はどんな苦難が待ち受けているだろうか・・・」という不安しか持てないのです。

まぁでもそんなことばかり思っていても仕方ないので今年こそは仕事を長続きさせて自立することを目標にやっていきたいと思ってます。

今年もよろしくお願いします。