無能すぎて生きるのが辛い

自分の生きた痕跡を残したくて始めました。

工場で材料の供給作業の派遣をしていた時の話

こんにちは、たけおです。

前回の記事で書いたパソコンの製造工場の派遣を辞めた後、別の工場に派遣されて2月から3月の間の1ヶ月間働いてました。

そこはいろんなプラスチック製品を製造している工場でして、僕はその中で原材料を管理する部署で作業してました。

で、工場内は小型の製品を作るエリア、中型の製品を作るエリア、大型の製品を作るエリアといった感じに別れてて

そのエリア毎に成型機がいくつもあるんですけどそこに原材料を運ぶのが主な仕事でした。

原材料は一袋25キロあって、それを複数個台車に載せて運ぶ感じです。

「どのエリアのどの成型機に何の材料がなんキロ必要か」みたいなことは全部指示書に書いてあるので、僕はそれを見ながら作業しまして、

各エリア毎に材料の置き場所が決まっているのでそこに台車を持って行って、どこの成型機に供給するのか分けるように番号札をつけとく訳です。

あと使い終わった原材料を元の棚に戻したり、注文した材料の荷受け作業なんかもやってました。

その部署は僕と佐藤さんっていう社員さんの2人だけだったので人間関係の煩わしさみたいなものは無かったし、

作業自体も自分のペースで一人黙々とやれるのでそこは結構良かったです。

ただ生産の予定が変更になることが頻繁にあってその都度供給する原材料の種類とか量を変更しないといけないんですけど、

それが自分には大変で・・・

というのも僕は決められた手順通りに作業してる分にはまだいいんですけど、そこからほんのちょっとでも外れた想定外の出来事なんかが起こるとうまく対応出来ないんですね。

まあ単に僕が馬鹿だってだけの話なんですけど。

それで生産予定に変更があった場合その佐藤さんって人から指示を受けるんですが、僕はその・・・人の話を理解するのが苦手がところがありまして、

人の話を聞いても相手の意図をうまく理解出来ず、伝達や意志疎通に齟齬が発生することがしょっちゅうでして。

そんなんだからその工場でも佐藤さんからの指示の内容をよく理解しないまま作業に取り掛かってしまって・・・

結果供給する材料の種類や数量を間違って製造の人から文句を言われるってことが多々ありました。

ある材料の在庫が少なくなってた時、本当は2ヶ所のエリアに供給しないといけないんですけど

それには材料が到底足りないからとりあえず今ある分の材料をその2ヶ所に均等に振り分けて、注文していた材料が届き次第各エリアに追加するといった感じの指示を受けたんですが

僕は何か勘違いして片方のエリアにだけある分すべての材料を供給してしまって・・・

そのせいで製造部門の方から「まだ材料が届いてないぞ!」ってクレームが来てしまいました。

他にも材料置き場が台車で一杯だった時よかれと思って成型機の側に直接材料を持っていったら

「混乱するから材料置き場の方に持っていってくれ!」

ってクレームが入って・・・

そんな感じで自分のせいで製造部門の方から文句を言われることが多々あったんですよ。

あと在庫を管理のため材料を使ったら、その材料を何キロ出庫して何キロ在庫に残っているかっていうのを全部出庫表に書かないといけないんですけど

僕はそれを間違えまくってしまって、僕が書いた後の出庫表は訂正だらけで汚くなって本当に最悪でした。

そんな感じで自分はミスしまくりで

ただ先に言った同じ部署の佐藤さんという社員の方は凄く良い人で、

僕がどれだけミスしても優しくフォローしてくれて・・・それがかえっなんか申し訳なく思えて、

これ以上ここで働いても周りに迷惑をかけるだけだろうな・・・って思って、それでその工場を辞める事にしたんですね。

辞める直前に同じ部署の五十嵐さんっていう女性社員さんから

「若いんだから派遣社員じゃなくて正社員を目指したほうがいい」

的なことを言われて、自分は無能すぎて正社員の仕事じゃ全く務まらないから派遣社員をやってるんだけど・・・

まあそんなこと言っても相手を引かせるだけだしそこは適当に答えました。

結局その工場は初回契約の1ヶ月で辞めてしまいました・・・

まぁ、そんな感じです。

パソコンの検査の派遣をしていた時の話

こんにちは、たけおです。

今年の1月初め頃の話になるんですが、僕はパソコンを作ってる工場に派遣社員として働いていました。

僕はその工場では評価部門というところに配属されまして、

仕事内容は開発中のパソコン製品が正しく動作するかどうか確かめるために指示された通りにパソコンを操作して、

異常があればその都度報告するみたいな感じでした。

勤務初日はデスクトップPCのテレビ機能を使ってちゃんとテレビ番組の録画が出来るかどうかの確認作業が主で、

テレビ番組を録画予約

パソコンをシャットダウンして録画待機

録画終了後ちゃんと録画出来ているか確認

といった作業の繰り返しで、初日はかなり楽でした。

それで2日目はその録画した番組をちゃんとCDにダビング出来るか確かめる作業だったんですけど、

初日の作業は指示された操作を淡々とこなしていくだけで良かったのに対して2日目からは指示書を見ながら自発的に動かないといけなくなりまして。

そのダビング作業にはいろんな種類のCDを使うんですけど、作業部屋にはデスクトップPCが20機くらい並んででそれぞれに番号が振られてるんですね。

で、各機体ごとにダビング作業に用いるCDの種類が違くて、

それでどのCDを使うかは指示書に書いてあるからそれを見ながら作業を進めていくんですけど、僕は指示書に書いてある内容がよく理解出来なくて・・・

社員の人からちゃんと説明は受けたんですけど自分はなんというか・・・理解力がかなり低くて、人の話を聞いても上手く理解出来ないことが多々あって・・・

まぁ要は馬鹿なんです。

そんな訳で僕だけ作業が全く捗らなくて最悪でした。

ダビング作業の他にも、録画した番組の編集作業とかコマンド操作とかいろんな検査項目がありまして、次々と新しい指示が飛んで来るんですけど、

自分は先にも書いた通り人の話を理解する能力がかなり低いほうなので指示をうまく理解出来なくて。

あと僕と同時期に入った金子さんっていう年配の派遣社員の人も居たんですけど、その人はかなり仕事が出来る方だったのでより一層僕の無能っぷりが際立って・・・それが本当に惨めでした。

最後のほうは社員の人も何かあると金子さんのほうに仕事を頼むようになっていって、僕は手持ち無沙汰でいることが多くなって凄く気まずい思いをしたのを覚えています。

まあそんな感じで評価部門での仕事が終わって、次は検査部門に回されることになったんですね。

そこではノートパソコンの検査をやっていて、完成した製品を電動ドライバーを使って一旦バラして製品の内部に異常が無いことを確認した後再度組み立てし、梱包するといった作業をやっていました。

自分は梱包作業を担当しまして作業の流れとしては

組み立てが終わったノートパソコンに傷がついてないかやネジはちゃんとしまっているかなどを目視で確認して、

その後二点照会といって箱に付いてるラベルのバーコードと製品に付いてるラベルのQRコードを機械で読み取って箱と製品がちゃんと対応しているか確認しまして、

それでなんの異常も無かったら製品と箱に検査済みを意味する黒のタックスシールを貼って、

それで最後に箱詰めするといった感じでした。

作業内容自体はそこまで難しくなくて、一度覚えてしまえば後は1日中同じ作業の繰り返しだったのでそこは良かったです。

ただライン作業なので結構スピードが求められるんですね。

シリアルコードが上手く読み込めなかったり、
製品を箱詰めする際の封をするのにビニールテープを使うんですけどビニールテープカッター機が詰まってテープが出てこなかったり、

そんな感じでちょっとした不具合が起こるとどんどん製品がたまって来てそれが大変でした。

それでも最初のうちはわりと順調だったんですけど、その部署に配属されて3日目に製品に黒のタックスシールを忘れたまま梱包するっていうミスをやっちゃって・・・

それで箱を開封してシールを貼り直す訳ですけどそうこうしている間も製品がどんどん流れて来てラインが僕の工程で完全に詰まっちゃって。

結局主任さんにも手伝って貰うことになったんですけど、僕のミスのせいで現場の空気がかなり険悪な感じになってしまって・・・

主任さんも最初のほうは僕に対して親しげに話し掛けてきてくれてたんですけど、僕がそのミスをしてからは心なしか態度が冷たくなったような感じがして、

「ああ俺嫌われだしたんだな」

って思って次の日は怖くて会社に行けなくて・・・

結局そのままその工場を逃げ出してしまいました。

結果として2週間しか続かなかったです。

改めて自分の無能っぷりを痛感させられた2週間でした。

部品の仕分け作業の派遣をしていた時の話

こんにちは、たけおです。

前回の記事で書いた通り僕はちょっと前までアパートで一人暮らしをしていたんですが、生活が立ち行かなくなって実家に戻って来まして

で、また実家で暮らすようになったんですけど、

僕は以前から実家で同居してる兄夫婦とはあまり良好な関係が築けてなかったから、実家に戻って来てから物凄く気まずくて・・・

それにアパートを退去する際滞納してた家賃とか光熱費を親に建て替えて貰ってたから親に対しても負い目みたいなのがあったから余計肩身が狭かったんですね。

そんな訳で一刻も早く家を出るために仕事を探してて、そうして就けたのが工場の派遣社員の仕事でした。

その工場はいろんな電子機器を製造している会社なんですけど、その中でも自分は部品を管理している部署に回されまして、

そこで何をするかと言うと工場では製品を作るために材料となるいろんな部品を仕入れるのですが、その仕入れた部品を指定された数ごとに仕分けする作業があって、僕はそれを担当していました。

で、自分は佐藤さんっていう女性社員の人から仕事を教えてもらってたんですけど、僕はこの人が凄く苦手で・・・

というのもこの佐藤さんという人は、人の噂話とか陰口なんかをよく話す人でして、

休憩時間なんかは工場でよく見掛けるあの社員の顔がお笑い芸人の誰それに似てるとか、別の部署のオッサン社員がどうのこうのとか・・・

そんな話ばかりしてて、

他にも他人の容姿とか身体的特徴を小馬鹿にするような事ばっか話してるんですよね。

それが僕は凄く嫌で、なんというか「仕事でミスとかしたらこの人に陰口叩かれるんだろうなぁ」とか考えてしまうんですよ。

で、仕事を始めて2日目でしたかね、その佐藤さんって人が休憩時間に僕の事を話してるのを聞いてしまって・・・

僕は結構腰がこることが多くてそれで腰に手を当てて伸びをするような動作をよくやってたんですけど、

なんかそれが佐藤さんの目に留まったみたいで、

「あの人いつも腰に手を当てるけど、そんなに腰痛いアピールしたいのかな」

みたいなことを言ってるのが聞こえてきて、それが本当にショックでした。

自分は別にアピールとかじゃなくて、ただ純粋に腰がこるのでそういう動作をしてただけなのに

それ以来自分の一挙一動を監視されてる気がしてしんどくて、

特に僕が配属された部品管理の部署は部屋がそこまで広くなくて、複数人が机に向かい合って作業するから何をするにしても他人の目があってそれが僕にはきつかったです。

部品の仕分け作業は基本的に一人で黙々とやる仕事なのでそこは良かったんです。

ただ扱う部品の種類がかなり多くて、部品ごとに仕分けのやり方が違うんですね。

ケーブルは5本ごとに輪ゴムで縛ってそれ専用の袋で仕分けて、
2種類のケーブルが来たら一方のケーブルともう一方のケーブル2つで1つとして数えるとか、
表示素子はクッションに刺して固定して箱に入れて動かないようにエアキャップを詰めるとか

ひとつひとつ書いていったら切りが無いんですけどとにかく覚えることが多いんですよ。

で、自分はその都度さっき書いた佐藤さんっていう女性社員の人からやり方を説明されるんですけど、僕は物覚えが悪くて理解力も低いほうでして・・・

人の話を聞いていてもうまく頭に入っていかないと言いますか、常に頭の中が散らかってるような状態なんですよね。

だから上司からの指示を誤って解釈してしまったり、人とのコミュニケーションにおいて齟齬が生じることがとにかく多くて・・・

その上自分には相手の話をよく理解してないにも関わらず反射的に「はい!」って返事をしてしまう癖があって、

この仕事でも佐藤さんからの説明をよく理解してないに「分かりました」と返事をして、間違ったやり方で作業を進めてしまうってことが多々ありました。

そんなんだから佐藤さんの僕に対する態度もちょっとづつ冷たくなってきて、

最後のほうは

「分からないことがあったら聞いてくれればいいから!」

ってかなり不機嫌な口調で怒鳴られて
かなり凹んだのを覚えてます。

あと、仕分けが終わった部品は指定された棚に入れるんですけど自分は入れる棚を間違えて注意されることが何回かあって・・・

他にも仕分け作業をしてて部品の数が足りなくなることが結構あってその都度佐藤さんに報告するんですけど、

あまりにもその回数が多いから佐藤さんがもう一回数え直したら今度はちゃんと数が揃ってて・・・凄く気まずかったです。

先に書いた通り、佐藤さんっていう女性社員さんは苦手だったけどその他の社員さんは基本的に優しくて、コミュ障な自分にも気さくに声をかけてくれる良い人達ばかりでした。

この仕事を続けたら自分が無能なのが完全にバレて、この人達からも嫌われるんだろうなって思ったらなんか辛くなって・・・

そんな訳でその工場の派遣は2週間で辞めてしまいました。

・・・そんな話です。

アパートを追い出された時の話

こんにちは、たけおです。

僕は現在実家暮らしをしているのですが2021年の10月までアパートで一人暮らしをしてました。

その頃の自分は働けてなくて家賃や光熱費なんかも滞納してて、それでアパートを退去することになったんですね。

で、アパートを出たら実家ぐらいしか行く所は無いんですけど実家には両親の他に兄夫婦が住んでまして、

自分はこの兄夫婦と折り合いがかなり悪かったんです。

兄とは元々そんなに仲が良くなくて社会人になってからは一切口を利かなくなってたんですけど、

その兄が結婚して兄嫁と実家で同居することになって自分はコミュニケーション能力が絶望的に低いので兄嫁とも良好な関係を築けなくて・・・

それに僕は職を転々としてて、全く定職に就けてなかったからとにかく肩身が狭くて、

そんな訳だから実家にいた頃はなるべく兄夫婦と顔を会わせないように仏間にこもりっきりで、食事の時間も兄夫婦とずらしたりして、

そういう事があったので実家に戻るのは考えられなくて、夜逃げみたいな形でアパートを出る事になりました。

自分が住んでいたのは東北の田舎町だったんですけど、

流石に田舎でホームレス生活をするのは無理だなと思って近場にある都会ということで仙台市に行くことにして着いたはいいんですけど行くあてなんて無いからネットカフェで過ごすことになって・・・

ほんと馬鹿ですよね。

しばらくしてお金も尽きてどうしようもなくなって、それで区役所に助けを求めに行ったらNPOがやっている路上生活者の自立支援施設を紹介されました。

その施設では、ホームレスの人に住まいと食事を提供するとともに社会復帰のために就職支援もしてくれるみたいで、僕は他に行くあても無いのでそこに入所することにしたんですね。

それでその施設に着いて職員の人に説明を受けたんですけど、入所の際に銀行の通帳やキャッシュカード、財布、判子などの貴重品を預かるって言われて・・・

まあ今考えれば、入居者間での盗難などのトラブルを防ぐためにそういう対応をしてるんだと思うんですけど、その時の僕はそこまで考える余裕がなかったから不安になって、

あとその当時コロナウイルスのまん延防止措置が発令されてて、県外から来て入所する人は1週間隔離されるって言われて、

で、隔離期間中はトイレ以外の用では部屋から出れない、食事はドアの前に置いておくから部屋の中で一人で食べる、風呂には入れない、歯磨きも出来ない・・・

っていうのを聞かされて物凄く不安になって・・・

その時心境が顔に出てたんでしょうね、職員の方に

「嫌なら出ていって貰うしかないよ」

って言われて。

自分には他に行く所なんて無いから了承して、それで入所することになったんですね。

それで自分の住む部屋に案内されたんですけどこれが二畳ぐらいしかない狭い部屋でして・・・まあ住めるだけ有り難いのでそこはいいんですけど。

その後職員の人にシーツと枕カバーを渡されてベッドメイキングをするように言われたんですけど、地元を離れた心細さとかこれから先ここでやっていけるかとかいろいろと不安になって来て全然作業が手に付かなくて・・・

それで作業が進んでるかどうか職員の人が見に来たんですけど、まったく手付かずなのを見て

「嫌なら出ていって貰うしかないよ」

ってかなり強めな口調で言ってきて、怖かったのを覚えています。

それでその後ひとり部屋で過ごしたんですけど、部屋の壁が薄いのか廊下や隣の部屋から他の入居者の話し声なんかが聞こえてくるんですね。

で、その話し声というのがなんというかかなり荒っぽいというか・・・

こういうことはあまり言わない方がいいんだろうけど、その施設はホームレスの人が集まる所なんで結構癖の強い人が多いんですね。

しかも僕は部屋に一人隔離されてたから相手の顔は見えずにそういう荒っぽい声だけ聞こえてくるから怖くて・・・

それでここでこれから先やっていけるか物凄く不安になって、いろいろと耐えられなくなって結局次の日に実家に戻ることにして施設を出ました。

それで親に今までの経緯を話してまた実家に住むことになりました。

後で聞いたら僕がアパートを出た後、連帯保証人であった父にアパートの管理会社から連絡がいったらしく、部屋の荷物の引き取りとか退去の際の立会なんかを両親がかわりにしてくれて、

滞納してた家賃や光熱費なんかも親が払ってくれたみたいでかなり申し訳なく思ったのを覚えてます。

・・・まあそんな感じで今は実家暮らしをしています。

警備員だった頃の話

こんにちは、たけおです。

今から4年前の2018年の話なんですけど、

その頃僕は施設警備員の仕事をしてました。

まずなんで施設警備員になろうと思ったかというと、自分は人とコミュニケーションを取るのがかなり苦手で・・・

それもコミュ障とかそういうレベルじゃなくて意志の疎通がうまくとれないんですね。

人に何かを伝えるっていうのが絶望的なまでに苦手で、
なんというか常に頭の中がごちゃごちゃしてて物事を順序だてて説明するのがうまく出来なくて・・・

まあ要するに馬鹿なんです。

それに付け加えて僕には吃音症という言語障害のようなものが生まれつきありまして。

話す際にうまく言葉が出てこなかったり、同じ音を繰り返したり・・・とにかく円滑に言葉を話せなくて。

具体的には、「おはようございます」と言いたくても言葉が喉の奥に引っ掛かってるような感覚でうまく出てこなくて、
「おっおっおっおっおっおはようございます」
みたいな感じになってしまうんですね。

俗にいう″ どもり ″というやつです。

そんなんだから人と話してても自分の伝えたいことがうまく相手に伝わらなかったり、

相手から「なに言ってんだコイツ・・・」みたいな目で見られたりするなんてことがよくありまして。

そういう対人能力の低さが原因で今までどんな会社に入っても人間関係がうまくいかなかったので、その頃の自分はとにかく人との関わりが少ない仕事がしたいと思ってました。

そんな時に見つけたのが施設警備員の求人だったのですけど、

僕は施設警備員の仕事に対して

「勤務時間の大半は守衛室に籠って、たまに施設内を巡回するだけの楽な仕事」

みたいなイメージを持ってて、
それで「この仕事なら自分にも出来るだろ」と思ってその求人に応募したんです。

今思うと浅はかな考えだったと思います。

で、面接とかあって採用して貰えたんですが、入社して最初の1週間は会社で施設警備員の業務内容に関するビデオを見させられたり、

警備業務の教科書を見ながら勉強したり、

あと徒手護身術の練習なんかもやったりいろいろやらされました。

なんでも警備員は現場に出る前に30時間くらいの研修を受けなきゃいけないって法律で決まってるみたいです。

あと先輩社員とは2人で社有車に乗って見学みたいな感じで仕事現場を回ったりしてたんですが、その際に車内で先輩と2人きりになるのが辛かったんですよね。

先にも書きましたが、自分はコミュニケーション能力が絶望的なまでに低いので、上手く世間話とか出来なくて車内が気不味い雰囲気になったのを覚えてます。

柴さんっていう50代くらいの先輩社員と同乗した時があったんですけど、その際僕の口数があまりにも少ないもんだから

「こんなおっさんと話してても楽しくないか?」

みたいなことを柴さんがちょっと冗談めかして言ったんですね、

それに対して僕がうまく返答出来なくて変な空気になったのを覚えてます。

まあそんな感じで無事研修が終わりまして、施設警備員として現場に入る事になりました。

僕が配属されたのはイオンっていうショッピングモールなんですけど1日の大まかな流れとしては朝6時くらいに現場に入りして、

制服に着替えたら守衛室で出社してくる社員さん達を出迎えて、

そこから当直勤務の人と2人で、1人が施設の巡回に行ってる間はもう1人が守衛室で出入り業者なんかの受付を担当して・・・といった具合で巡回と受付を交代しながらやっていく感じで、

閉店した後は店内を施錠確認しながら巡回して回って、

それが終わったら1日の業務終了って流れでした。

その他にも店内のレジ打ち担当の人が釣り銭補充をする際の立ち会いなんかもしました。

あと家を出る前に

「○ ○(自分の名前)です。○月○日○時○分、これから勤務先に向かいます。」

現場に到着してからは、

「○○(自分の名前)です。これから勤務を開始します」

って感じで本社のほうに連絡を入れる決まりがあったんですけど、自分は吃音症で喋るのがめちゃくちゃ苦手だったんで連絡の度にどもらずうまく話せるかでかなり緊張してました。

仕事自体は慣れればそんなに難しくないかなって感じだったんですど、
ショッピングモールみたいに不特定多数の人が沢山集まる場所を警備するとなるとイレギュラーな出来事に遭遇することが結構あって・・・

ショッピングモールだとよくイベント事があるんですけど、その準備を手伝わされたりとかして。

僕が入社したのが1月だったんですけど、その年は雪が凄くてショッピングモール入口の雪かきもやらされたり

「店の前の通りを除雪して欲しい」みたいな電話が守衛室にかかって来たりもして、

でもそこ店の敷地内じゃないから本来は市役所に言ってもらわないと困るんですけど、

でもまぁそこは客商売なんで代わりに僕達が市役所に除雪の要請したりする訳です。

店内で万引きした子供(高校生くらい)なんかも居たんですけど、現場検証をするためとかでその子が警察同伴でやって来て、その際の立ち会いなんかもやらされたりしました。

この他にもルーティンワーク以外のところでいろんな雑用やらなんやらが舞い込んで来るんでその都度対応しなきゃいけないんですけど、

あと警備員が待機する守衛室なんですけど事務所と併用になってて、常にそのショッピングモールに勤務してる社員さん達が居るんですよね。

そんな訳で待機中はずっと社員の人達と同じ部屋で過ごさなきゃいけないんですけど、業務上の事とか世間話とかでいろいろ話しかけられるんですけどそれが凄い嫌でした。

最初に書きましたけど自分は対人能力が絶望的なまでに低いから話しかけられても上手く返答出来なくて・・・

僕は新人だったんで先輩警備員の村岡さんって人について回ってたんですけど、その人がショッピングモール勤務の社員さん達と仲良さそうに喋ってるのを見て

「僕は村岡さんみたいに上手くやっていけるだろうか・・・」

って不安になったのを覚えてます。

そんな感じで施設警備員としての初日の勤務が終わったんですが、正直その時点でもうこれから先やっていける気がしなくて・・・

僕は施設警備員の仕事を人との関わりが少なくて、ルーティンワークの繰り返しみたいなものだと思ってたからなんかいろいろと予想外だったんです。

それでショッピングモールの警備員として初日の勤務が終わった次の日に、仕事を辞めたいって連絡を課長に入れました。

そしたら課長から

「2、3ヵ月勤めて仕事が合わないから辞めると言うんならまだ分かる。でもこんな早くに辞めたいなんて言われても困る」

って言われて・・・まぁ正論ですよね。

その時の僕は
「この仕事を続けていったら確実に無能なのがバレる!」
っていう不安があったから、無能なのが完全にバレる前一刻も早く辞めたくて・・・

それでなんとか粘ってしぶしぶ了承してもらいました。課長は心なしか呆れてました。

ショッピングモールでの警備は既にシフトが組まれてたから退職を申し出てからも2日間出勤する事になったんですけど、

なんか僕が会社を辞めるって話が既に広まってて、かなり気不味かったです。

僕が守衛室の受付に立ってる時、大場さんっていう先輩警備員の人がショッピングモールの社員さんと僕の事を話してて

「あんな調子じゃどの会社いっても通用しないでしょ」

みたいなことを明らかに僕に向けて言ってるのが聞こえてきて、僕は聞こえない振りをするのに必死でした。

ショッピングモールでの勤務を終えてそれで退職できると僕は思ってたんですけど、そこから1ヶ月、本社のほうで働くことになったんですよね。

僕は直ぐにでも辞めれるものと思っていたのでガッカリしたのを覚えています。

本社では機械警備っていうのをやっていて、

これは契約先の施設から発報があったら現場に駆けつけて異常がないか確認するっていう仕事(ALSOKとかSECOMを想像してもらうと分かりやすいと思います)で、自分はその業務に1ヶ月間従事することになったんです。

本社では午後4時頃に出社して、

点呼を行ってから会社が管理している図書館とか文化センターの巡回警備にいって、

それが終わったら基本的に契約先から発報があるまで待機してました。

後は午後10時くらいに契約先の工場に巡回しに行くくらいでした。

僕はあくまで助手という立ち位置だったので、基本的には先輩警備員について回るだけで、発報があって契約先施設に駆けつける際も助手席に座ってるだけでした。

施設の巡回も毎日決められたルートを歩くだけだったのでかなり楽な仕事でした。

ただ、施設を巡回する際その施設の社員さんに「新人さんですか?」みたいな感じで話しかけられる時があって、自分は退職することが決まってたから凄く気不味かったです。

会社の休憩室で発報があるまで先輩達と待機する際なんかも

「入社してすぐに退職する自分のことをみんなどう思ってるだろうか」

とか思ってしまって凄い居心地が悪かったです。

あとその会社には警備課の他に設備課、業務課といった課があってそれぞれ部屋が別れてて、

僕は警備課に所属していたので出社して制服に着替えたら警備課の部屋に行くんですけど、

その前に他の課がある部屋にも顔を出して挨拶しなきゃいけないってルールがあって・・・それが凄い嫌だったんです。

「ただ挨拶するだけだろ」って言われたらそれまでなんですが、僕はなんというか既に空気が出来上っている場に飛び込むのが苦手で、

それにその時は入社早々会社を辞めるってことで負い目があったから尚の事辛かったです。

一度挨拶しに行った時返事が無かった時があって・・・

「俺の声が小さかったから聞こえなかったんだな」

って自分に言い聞かせてその場を後にしましたけど内心穏やかでなかったです。

それと警備課は業務に使う車両を点検する作業があって、これは二人一組になって1人が車両に乗り込んで

エンジンをかける→ライトを点ける→ウインカーを点ける→ブレーキを踏む・・・

と順番に行い、もう1人がそれらを指さしながら

「エンジンよし!ライトよし!右ウインカーよし!左ウインカーよし!ブレーキランプよし!」

と声を出しながら確認していく作業なんですが、僕はこの際に吃音症のせいで

「らっらっらっらっらっライトよし!」

といった感じで盛大にどもってしまって・・・みんなに笑われました。

僕がどもった時近くに居た先輩社員達が、互いに目配せしあって「何あれ?(笑)」って顔で笑い合ってて・・・それが凄い恥ずかしかったです。

結局その警備会社は2ヶ月ちょいで辞めてしまいました。

食品工場で働いてた時の話

こんにちは、たけおといいます。

今から3年前の2019年の話なんですけど、その頃僕は24歳で、会社に入社しては直ぐに辞めの繰り返しで全く定職に就けてませんでした。

というのも自分はかなり物覚えが悪くて、注意力散漫で、理解力もめちゃくちゃ低くて、人の話とかを聞いても、なんというか話がうまく頭の中に入って行かなくてよく理解出来ないなんてことが日常茶飯事なんですね。

要するに馬鹿なんです。

おまけに僕には吃音症という言語障害のようなものがあって、人と話す時に

「お お お お お おはようございます」

みたいな感じでうまく言葉が出てこないことがあるんですよ。

それが原因でうまく人とコミュニケーションが取れなくて対人関係ではよく苦労した思い出があります。

そんなわけでどの会社に入っても人間関係でうまくいかなかったり、業務上のミスを連発したりで全く長続きしなかったです。

2019年頃になるとこの歳で未だに定職に就いていないのは流石にヤバいと思い始めていて、そんな時期に入社したのがタイトルにある食品工場でした。

そこは豆腐やこんにゃく、油揚げなんかを作っている食品工場で、従業員が10数人くらいの小さい会社でした。

で、僕はその会社に入って午前中は豆腐工場でパックに入った豆腐を包装機にかけてパッケージングして、
パッケージされた豆腐をお湯の入った機械に入れて茹でて、
茹で上がったらそれを取り出して冷水につけて十分に熱が取れたらコンテナにつめて冷蔵庫に持って行くっていう一連の作業をして、
午後からはこんにゃく工場で、成形されたデカイこんにゃくをいろんな大きさにカットしたりしてました。

他には商品の発送作業とか、ところてん作りなんかもやってました。

覚えることが結構多くて大変だったんですけど、当時の僕は「なんとしてもこの仕事は長続きさせなきゃ」と思っていたので、馬鹿なりに仕事を覚える努力をしていて

具体的には仕事が終わって家に帰ってから、その日やった仕事の作業手順なんかを事細かにノートに書き出したりしてました。

でまあその甲斐あってか自分はわりと早く仕事を覚えることが出来て、入社して最初のほうはわりとうまくいってたんです。

ただしばらくすると当然の事なんですけど僕に任される仕事の量が増えていって、その豆腐工場では主に、木綿豆腐と絹豆腐、あと焼き豆腐の三種類扱っていて、最初の頃の僕は木綿豆腐の包装作業だけやってたんですけど、僕が入社してしばらくたってから、仕事にも慣れてきたということでその木綿豆腐以外の作業も並列してやることになったんですけど、

僕は複数の作業を並列して行うみたいなのが絶望的なまでに苦手で、普通の人はうまく順序だてて作業するんだと思うんですけど自分にはうまく出来なくて、一方の作業をやってる時はもう一方の作業がおろそかになってる感じでした。

なのでよく周りの人にフォローしてもらってて、「いずれはあなた1人で出来るようにならなきゃいけないんだからね」みたいなことをちょくちょく言われてました。

あと僕が入社する前に勤めていた人と比較して、「前に居た人は、全部1人でやってたよ」みたいなことも言われて嫌な気持ちになったのを覚えてます。

あと、その会社の会長さんが社長のお母さんで、70歳くらいのお婆ちゃんなんですけどその人が凄い怖い人で

なんというかその会長さんは相手によって性格がガラッと変わるんですね。

仲のいい人に対しては凄く優しいんですけど、
自分が嫌ってる人に対してはあからさまに不機嫌そうな態度で接して、その人がちょっとでもミスしたりすると周りに人が居るのもお構い無しに怒鳴りまくるって感じで・・・

だから僕は上手く仕事をこなせないといつか僕も嫌われるんじゃないか・・・と、ビクビクしながら作業していたのを覚えてます。

それでこの会長さんとは豆腐工場のほうで一緒に作業してたんですけど、

この豆腐工場では他に村山さんっていう女性社員もいて、この人がなんか会長さんに凄い嫌われてて常日頃から怒鳴られたり嫌味を言われたりしてて凄い怖かったのを覚えてます。

入社して最初の頃、僕が豆腐の包装機のフィルム交換をなかなか上手く出来なくて悪戦苦闘してた時、それを見た会長さんが村山さんに
「あなた先輩なんだから手伝ってやれ!」
って怒鳴りだして・・・

自分の物覚えが悪いばっかりに、他の社員さんが怒られて本当に申し訳ないと思ったのを覚えています。

会長さん絡みで、仕事が暇な時期に会長さんの自宅の雪囲いを外す作業を手伝わされた時があったんですけど、

バールで木の板から釘を引き抜く作業を任された時「バールの使い方は分かる?」って聞かれて僕は分かるって答えたんですね。

そんで僕は何を思ったか、バールって先端に釘を引っかけてテコの原理みたいに片側に傾けて釘を引き抜くじゃないですか、それを僕は垂直に持ち上げて引き抜こうとしてしまって、

「こいつバールの使い方も分からないのか・・・」

みたいな感じで笑われました。

あと、やることが無くて手持無沙汰してた時に会長さんから

「配達の人のピッキング作業を手伝って来て」

って言われたんですけど、配達の人からは

「こっちは手が足りてるから自分の仕事してていいよ」

って言われて、それで別の作業をしてたんですね。

そしたら会長さんが「あの人私は配達の人を手伝えって言ったのになんで別の作業してるの」みたいな事を陰で言ってました。

僕が入社して最初のほうは、会長さんは僕に対して優しかったのを覚えてます。

ただ、先にも書いたようにその食品工場では覚える作業が多くて、
午前中は豆腐製造、午後からはこんにゃく製造、発送準備、他にも定期的にところてん作りがあったり、あとはそれらの付随業務がいろいろあって・・・

典型的なシングルタスク脳の僕はだんだん仕事に着いていけなくなって、

それにともなって会長さんの僕に対する態度がちょっとづつ変わっていって、具体的には僕に対しての挨拶が凄いぶっきらぼうになっていったんですね。

最初の頃は朝僕が工場に入って挨拶すると丁寧に返事してくれてたんですけど、いつの日からぶっきらぼうというか投げやりな感じで返事されるようになりました。

最初は気のせいかなって思ったんですけど、その日からずっとそんな感じだったんで、「ああ俺嫌われだしたんだな」って思いました。

その時に会社を辞める決心をしました。

で、入社して3ヶ月がたってちょうど試用期間が終わる頃だったので、社長から「もうすぐ試用期間が終わるけどやっていけそう?」って聞かれて、

僕は「なんとかやっていけそうです」的なことを言ってその場は終わったんですけど、

自分の中ではもう会社を辞める決意が固まってたのでその日帰宅してから直ぐに退職届を書いて夜中に会社のポストに投函して、次の日からは会社には行きませんでした。

そんな感じでその食品工場は3ヶ月で辞めてしまいました。